かぎや(安中市・坂本宿)概要: 武井家住宅(かぎや)は群馬県安中市松井田町坂本に位置しています。武井家の祖は高崎藩(藩庁:高崎城)の納戸役鍵番を勤めていた事から「かぎや」の屋号が生まれたされ、隣接する横川村の名主と茶屋本陣も一族と思われ武井姓だった事から格式の高い家柄だったと思われます。
江戸時代初期の寛永2年(1625)に坂本宿が開宿し新たな町割りが行われ周辺から住民を集められた際に武井家も当地に移り住み、代々武井幸右衛門を世襲し元の役職に因み屋号「鍵屋=かぎや」を掲げ坂本宿の旅籠を生業としました。
旅籠を経営するには幕府の許可が必要で一般的には格式の高い家に限られていた事から武井家の権勢が窺えます。又、江戸時代後期の天明年間(1781〜1789年)から寛政年間(1789〜1801年)の当主である鍵屋幸右衛門は坂本宿を代表する俳人として知られ、「紅枝」と号し「末枯れや 露は木草の 根にもどる」の句を残しています。
現在の武井家住宅(かぎや)の建築年代は判りませんが、坂本宿の残された町屋建築の中で最古とされ、中山道の宿場町の町屋建築の多くが平入なのに対して珍しい妻入形式を採用し異彩を放っています(長野県の農家建築で見られる本棟造とも赴きが異なります)。
建物は、木造2階建て、切妻、妻入り、瓦葺き、桁行6間、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ正面の懸魚の精緻な彫刻や、旅籠らしい2階出格子を支える腕木端部の彫刻、1階下屋庇を支える方立ての彫刻、「かぎや」と彫り込まれた屋根看板など凝った意匠となっています。
内部は入口から裏庭まで続く通庭(土間の通路)があり2列4室(前列8畳2間、後列8畳2間、中央中庭)となっています。武井家住宅は坂本宿の町屋建築が失われる中、貴重な存在とされます。
坂本宿旅籠かぎや跡:上空画像
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