安中市(歴史)概要: 歴史は古く碓氷という地名は古事記などの古 文書などにも記されていて、当初から関東と信州を結ぶ重要な地域だったと思われます。中世に入ると鎌倉執権の北条氏の直轄地となり、その後は関東管領の上杉氏が支配となります。室町時代に土着した安中氏は周辺領主達と縁戚関係を強めつつ次第に領土を広げ上州八家の一と目され、碓氷郡一帯を含む8万1千400石(江戸時代の周辺の石高は3万〜4万石)の大名に成長し、上野国侵攻を図る武田氏と対立を深めます。安中氏は松井田城や安中城を築くなど備えますが永禄7年(1564)、武田氏の侵攻により両城とも落城、その後は武田氏に従属します。
当時の当主安中忠成は天正3年(1575)、武田家と織田・徳川の連合軍による長篠の戦いで討ち死し、一族は居城である安中城に帰城しなかったとされます。天正10年(1582)に武田家が滅びると安中市周辺は織田信長家臣滝川一益が支配、本能寺の変が起きると小田原北条氏の支配となり松井田城には重臣である大道寺政繁が城主となります。
小田原の役で小田原北条氏が滅ぶと、関東は徳川家康の支配となり安中市周辺は元和元年(1615)から井伊直勝が3万石で入封し安中藩を立藩、直勝(直継)は彦根藩(滋賀県彦根市)井伊家を継いでいましたが病弱だったこともあり大坂の陣で功績を残した弟の直孝が本家を継ぐ事になり安中領が与えられました。
以後、堀田氏、板倉氏、内藤氏、板倉氏と藩主が代わり明治維新を迎えています。又、江戸時代に入り中山道が開削されると参勤交代で利用する大名家をはじめ、多くの旅人や物資の輸送で城下町だった安中を始め板鼻、松井田、坂本の各宿場町は経済的に発展しおおいに賑ったそうです。
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