前橋市: 膳城

  群馬県:歴史・観光・見所前橋市:歴史・観光・見所>膳城
前橋市・観光・見所
 ・ 前橋城
 ・ 前橋東照宮
 ・ 岩神の飛石
 ・ 光厳寺
 ・ 龍海院
 ・ 三夜沢赤城神社
 ・ 二宮赤城神社
 ・ 養林寺
 ・ 大徳寺
 ・ 大胡神社
 ・ 大胡城
 ・ 旧蚕糸試験場
 ・ 産泰神社
 ・ 膳城
 ・ 前橋カトリック教会
 ・ 旧宣教師館
 ・ 柳沢寺
 ・ 阿久沢家住宅
 ・ 諏訪神社
 ・ 総社神社
 ・ 総社大神宮
 ・ 総社城
 ・ 元景寺
 ・ 宝塔山古墳
 ・ 臨江閣本館
 ・ 臨江閣別館
 ・ 群馬会館
 ・ 前橋市水道資料館
 ・ 群馬県庁昭和庁舎
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
概要・歴史・観光・見所
膳城(前橋市)概要: 膳城の築城年代は不詳ですが城主だった善氏(三善康信の子孫)の祖とされる人物が鎌倉時代に既に存在していたことが分かっています。記録に出てくるのが享徳4年(1455)で文明年間(1469〜1487年)に落城、その後、金山城の横瀬氏の力を借り奪回し膳氏が復権します。しかし、膳氏は横瀬氏の後裔である由良氏に服属していた為、由良氏が従った小田原北条氏と上杉謙信との対立に巻き込まれ永禄5年(1562)と天正2年(1574)に上杉軍の進軍によって落城します。その後、謙信の死によって越後が乱れた為、再び小田原北条氏が支配しますが天正8年(1580)には武田勝頼(武田謙信の4男)によって攻略され以後、廃城になっています(武田家の滅亡により再び北条家の持城となり小田原の役で北条家が滅んだ後に廃城になったとも。)。この時の攻防戦が「膳城素肌攻め」(武田勝頼が膳城視察に平服で訪れた際、城内で行われた酒宴で酔っ払った兵士が近くにいる武田軍を酔いに任せて攻撃した為、すぐさま反撃され意とも容易く膳城が落城し多くの武将が討ち取られた。其の時、武田軍の殆どが甲冑を着けていなかった事から「素肌攻め」と云われた。)として後世まで語り継がれています。現在の膳城は本丸、二の丸を中心に郭の形状や土塁、空掘、堀切といった遺構が良く保存され昭和24年(1949)に群馬県指定史跡に指定されています。
膳城
膳城
[ 付近地図: 群馬県前橋市 ]・[ 前橋市:歴史・観光・見所 ]
膳城 膳城 膳城 膳城
膳城 膳城 膳城 膳城
膳城 膳城 膳城 膳城
住宅設計

 
 ※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「群馬県:歴史・観光・見所>群馬市>膳城」は「群馬県の歴史」、「郷土資料辞典−群馬県」、「日本の城下町−関東(一)」、「城郭と城下町−関東」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。