川岸町諏訪神社(高崎市・新町宿)概要: 川岸町諏訪神社は群馬県高崎市新町473に鎮座している神社です。川岸町諏訪神社は延長3年(925)に勧請されたのが始まりと伝えられています。当初は毘沙吐村に鎮座していましたが、弘化3年(1846)に大洪水により村全体が壊滅的な被害を受け、多くの住民が当地に移り住んだ事から当社も現在地に遷座しました。
現在の本殿は宝暦年間(1751〜1764)に造営されたもので、一間社入母屋造、檜皮葺、正面軒唐破風、右には相殿と思われる大杉社、左には稲荷社の社殿が並び安置されています。特に向拝の海老虹梁には桃山時代を思わせる「ぶどう」と「りす」の彫刻が施されています。
例祭に奉納される東音頭は案内板によると「 東音頭は古くから伝承されてきた郷土芸能で横樽音頭とともいわれている。発祥は神流川合戦の戦死者の御霊を慰めた盆踊り唄といわれ、お囃子の鉦に享保元年(1716)とあった事からそれ以前より唄い継がれてきたと思われる。祭文(祭祀の祭、奉ずる中国風祝詞)から出たのを、明治初め現代風に唄い改めたといわれている。毘沙吐村(現第7区)が安政4年(1857)まで神流川の東にあった事から東音頭と称された。・・・(後略)」とあります。
神流川合戦は天正10年(1582)、当初同盟関係にあった織田家と北条家でしたが本能寺の変で信長が死去すると北条家が上野国に侵攻し、当地方を任されていた滝川一益との戦となりました。戦国時代、関東地方での最大の戦いとされ北条軍5万と滝川軍1万5千と激突し北条方の勝利となりました。「東音頭」は貴重な事から昭和55年(1980)に高崎市指定重要無形民俗文化財 に指定されています。又、境内には川岸町沿革碑と正徳の道標が建立されています。
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