金蔵寺(渋川市)概要: 登澤山金蔵寺は群馬県渋川市金井に境内を構えている天台宗の寺院です。金蔵寺の創建は室町時代の応永8年(1401)、当時の白井城(群馬県渋川市白井宿)の城主長尾清影が祐道上人(眞光寺の僧)を招いて開いたのが始まりとされます。その後衰退しましたが東繁、舜純の代で再興され周順の代には境内に多くの堂宇が存在していた事が古文書(分限書上帳)で確認されています。
嘉永5年(1853)の金井宿(三国街道の宿場町)大火災に類焼し堂宇、寺宝、記録などが焼失し、以前の詳細が不詳。その後、榮順の代に庫裏や表門、藏兼観音堂などが再建されています。
境内には鎌倉時代に当地を支配した渋川(源)義季の墓碑、供養塔と伝わる宝篋印塔があります。渋川氏は河内源氏足利家の一門で上野渋川郷を領した事から渋川氏を名乗り室町時代以降は将軍家に近い事から優遇され備後守護などを歴任しています。群馬郡三十三観音霊場第8番札所。山号:登澤山。宗派:天台宗。本尊:阿弥陀如来。
しだれザクラ: 43世觀純が手植え、桜の開花が里芋の植え付けと次期が重なる為別称「いも種ザクラ」、根元廻り5.5m、目通り3.2m、花の色は白色種、昭和27年(1952)に群馬県指定天然記念物に指定。
ナンテン: 44世亮覚が手植え、赤ナンテン、当地方最大、株立周り1.3m、樹高4.6m、枝張り3m、昭和48年(1973)に渋川市指定天然記念物に指定。
宝篋印塔: 鎌倉時代の様式、基礎、中台、塔身、屋蓋、相輪の5石で構成され高さ150p、下金井から移設、源(渋川)義秀、義季の両説がある。昭和26年(1951)に群馬県指定史跡に指定。
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