甲波宿禰神社

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概要・歴史・観光・見所
甲波宿禰神社(渋川市)概要: 甲波宿禰神社は群馬県渋川市川島に鎮座している神社です。甲波宿禰神社の創建は奈良時代の宝亀2年(771)に勧請されたのが始まりとされます。格式が高く古くから中央にも知られていた存在で、平安時代の貞観11年(869)に編纂された「続日本後紀」では承和13年(846)に従五位下、元慶3年(879)に編纂された「日本文徳天皇実録」や延喜元年(901)に編纂された「日本三代実録」といった古文書にも名を連ね延長5年(927)に編纂された「延喜式神名帳」では式内社として記載され上野国十二社の内貫前神社(群馬県富岡市)、赤城神社(群馬家前橋市)、伊香保神社(群馬県渋川市)に次いで上野国四の宮に位置づけられました。

甲波宿禰神社は天明3年(1783)に淺間山噴火により社殿が流出し、天明5年(1785)に現在境内社となっている諏訪神社が鎮座していた現在地に遷座、旧境内地には本地仏だった千手観音像が安置されている観音堂が残されています。中世以降は神仏習合し別当寺院として光明寺が担ってきましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され明治13年(1880)に郷社に列し、明治42年(1909)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。祭神は速秋津彦命と速秋津比姫命で吾妻川を守る神とされ、周辺住民だけでなく川に関わる人達からも信仰されてきました。同様の神社が他に箱島と祖母島と等間隔で吾妻川沿いにある為、三社で吾妻川を守っているとも考えられているそうです。祭神:速秋津彦命、速秋津姫命。合祀神:大山祇神、誉田別神。配祀神:大物主神、倉稻魂神、水波之賣神。

甲波宿禰神社の社殿は天明3年(1783)に浅間山噴火によって崩壊した後の天明5年(1785)に現在地(元々は吾妻川湖畔に鎮座)に遷座再建されたもので、拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅瓦棒葺き、平入、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り素木板張り。本殿は一間社流造、銅瓦棒葺き、建物全体に精緻な彫刻が施されてます。又、拝殿に奉納されている算額は江戸時代末期の安政3年(1856年)に利根郡片品村出身の和算家千明慶悦と弟子達60余人が奉納したもので、縦80p、横190p、厚さ8p、直角三角形の底辺を求める問題、和算研究の資料として貴重な事から昭和50年(1975)に渋川市指定重要文化財に指定されています。甲波宿禰神社の例祭に奉納される(元々は境内社である諏訪神社に奉納された。)川島の獅子舞は天保年間(1831〜1845年)に再興された鹿島流の一人立の獅子で、古式を伝える行事として貴重な事から昭和47年(1972)に渋川市指定重要無形文化財にそれぞれ指定されています。

甲波宿禰神社:本殿・拝殿・写真

甲波宿禰神社参道石段に設けられた石鳥居と石燈篭
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甲波宿禰神社参道石段と雰囲気のある社叢 甲波宿禰神社参道石畳みから見た拝殿正面と石燈篭 甲波宿禰神社桜古木越に見える社殿(拝殿・本殿)全景 甲波宿禰神社本殿と幣殿と透塀


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