水澤寺(水澤観音)概要: 五徳山水澤寺は群馬県渋川市伊香保町水沢に境内を構える天台宗の寺院で坂東三十三観音霊場の第十六番札所として信仰を集めています。水澤寺の創建は推古天皇の時代(592〜628年)、上野国司高光中将が恵潅僧正(高麗の高僧)を招いて開山し自らの菩提所としたのが始まりと伝えられています。
伝承によると高光中将の后である伊香保姫は高辺左大将家成の三女として生まれ、上には兄と2人の姉がいたそうです。実母は早くに死に別れ、父親と兄は京都に出仕し継母と姉4人で暮していましたが、継母は日頃から姉妹を恨みに思い、ある時、親戚の更科次郎兼光と図り姉妹を川に誘い溺死させようと画策しました。
姉2人は溺れ死にましたが、伊香保姫は日頃から熱心に信仰していた千手観音に助けを求めると不思議な事に観音様の化身が出現し姫を助け出したそうです。その後、継母と兼光は罰せられ、姫が成長し高光中将に嫁いだ際、この話しを伝えると中将は恵潅僧正を招き姫の持仏である千手観音像を本尊とした水澤寺を開いたと伝えられています。
その後、水澤寺の寺運は隆盛し境内には数多くの堂宇が建てられ、僧坊も擁しましたが持統天皇の時代(690〜697年)、当時の国司である柏階知隆と水澤寺の門徒がささいな事から対立し御堂30余棟、坊舎300余棟、仏像180余体が焼失したと伝えられています。伝承によると国司柏階知隆が狩を行った際、一匹の鹿が水澤寺本堂に逃げ込んだ為、それを取り囲み射殺しました。
無用な殺生が行われ、境内を穢された事に反発した水澤寺の門戸達は鹿を手厚く葬ると共に、国司を境内から追い出しました。今度はその行為に怒った国司が大軍を引き連れ水澤寺を焼き討ちしたと伝えられています。その後、東円(行基菩薩の弟子)によって再興され寺運も隆盛しますが永正8年(1511)、大永2年(1524)の火災で多くの堂宇が焼失しています。
江戸時代に入ると幕府から庇護され朱印状を賜り、伊香保温泉の湯治客や札所巡りの巡礼者が盛んになり再び隆盛しています。
現在の水澤寺境内には天明7年(1787)に再建された観音堂や仁王門、六角二重塔があり、観音堂やと仁王門が渋川市指定重要文化財、六角二重塔は群馬県指定重要文化財に指定されています。
阿弥陀如来坐像は江戸時代前期の僧侶である円空が彫刻したもので、杉材、一刀彫、像高53.0cm、頭部幅13.5cm、群馬県内に残る数少ない円空仏として貴重な事から昭和52年(1977)に渋川市指定重要文化財に指定されています(※ 円空は延宝9年:1681年に上野国の貫前神社に滞在していた事が記録に残っています)。
木造十一面観音立像は平安時代後期の11世紀後半に定朝の流れを汲む仏師により彫刻されたもので、桂材、一木造、像高105.5cm、平安時代の古仏で保存状態が良く意匠にも優れている事から平成28年(2016)に渋川市指定重要文化財に指定されています。
又、境内には江戸時代から作られていた「水沢うどん」を売る店が軒を連ね「日本三大うどん(水沢うどん・稲庭うどん・讃岐うどん)」に数えられています。坂東三十三観音霊場の第十六番札所(札所本尊:千手観世音菩薩・御詠歌:たのみくる 心も清き 水沢の 深き願いを うるぞうれしき)。新上州三十三観音霊場別格札所。群馬郡三十三観音霊場第3番札所。関東百八地蔵尊霊場第33番札所。山号:五徳山。宗派:天台宗。本尊:千手観世音菩薩。
水澤寺仁王門: 案内板によると「 この仁王門は、江戸時代、天明7年(1787)に完成したと思われる。三間一戸楼門で彫刻に彩色を施し、1階天井には江戸時代狩野派の絵師で「上野法眼」の称号を持つ狩野探雲の絵が見られる。近世建築特有の華麗さを遺憾なく発揮し、上下の均整のとれた楼門として、採光の位置を占める名建築である。 渋川市教育委員会」とあります。
仁王門は入母屋、銅板葺、正面軒唐破風、三間一戸、八脚楼門、木部構造材は朱塗り、壁面部黒色塗り、彫刻部極彩色、上層部花頭窓付。水澤寺仁王門は江戸時代後期の楼門建築の遺構として貴重な事から昭和60年(1985)に渋川市指定文化財に指定されています。
水澤寺観音堂: 案内板によると「 この観音堂は、本尊に千手観音をまつる坂東札所観音堂の典型的な様式である。江戸時代、天明7年(1787)の建築と思われ、正面向拝、棟唐破風は近世建築特有の華麗さを表し、全体的には中世の建築様式を残す手法を用いている。五間堂として県内でも重要な遺構である。 渋川市教育委員会」とあります。
観音堂は水澤寺の本堂を担う建物で、宝形造、瓦葺、桁行5間、梁間5間、正面1間軒唐破風向拝付、外壁は木部朱塗り、彫刻部極彩色。水澤寺観音堂は江戸時代後期の御堂建築の遺構として貴重な事から昭和60年(1985)に渋川市指定文化財に指定されています。
水澤寺六角堂二重塔: 案内板によると「 この六角堂二重塔は、地蔵堂、六角堂とも呼ばれ、六地蔵を六角輪転の台座に安置し、二層に大日如来を安置した独特の形式である。下層の1辺は2.727メートル(9尺)、上層の1辺は1.364メートル(4.5尺)と半減しており、上層柱間が下層柱間の2分の1となる多宝塔の木割に似ており、相輪も多宝塔形式に類似している。・・・(後略) 渋川市教育委員会 」とあります。
水澤寺六角堂二重塔は江戸時代後期の層塔建築の遺構として貴重な事から昭和48年(1973)に群馬県指定重要文化財に指定されています。
水澤寺観音杉: 案内板によると「 この杉は樹齢がおよそ700年と推定されている。目通り周囲5.14メートル、高さ38メートルの巨木である。 渋川市教育委員会 」とあります。水澤寺観音杉は同市を代表する古木大木として貴重な事から昭和55年(1980)に渋川市指定天然記念物に指定されています。
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