【 概 要 】白井長尾家は長尾家の中興の祖と言われる長尾景忠の孫、清景が上野国白井(群馬県渋川市・白井宿)の地を与えられ本拠とした氏族です。清景は居城である白井城を築くなど領内を整備し、跡を継いだ景守は上野守護代を担い、その後も上野守護代や武蔵守護代、山内上杉氏の家宰職などを歴任しています。
長尾景信の代に最盛期を迎え、関東管領となった上杉顕定を支え事実上山内上杉家の実権を掌握し、古河公方である足利成氏と権力闘争を行っています。
景信が死去すると山内上杉氏の家宰職が総社長尾家(長尾忠景)に移り、それに反抗した景信の子である景春が文明8年(1476)に反乱を起こし、総社長尾家に従った太田道灌により鎮圧されます。
その後は山内上杉氏の抵抗勢力として周辺の同族を纏め反抗を繰り返しますが大永8年(1528)に景春の子である景誠が家臣により暗殺されると衰微し、憲景を養子に迎え関東管領の上杉憲政(山内上杉家)の配下となります。
永禄10年(1567)の武田信玄の上野国侵攻により白井城は落城、憲景は上杉謙信を頼り越後へ逃れ、その後復権するものの元亀3年(1572)に武田家旗下の真田幸隆に攻められ再び白井城は落城しています。
上野国の武田家の影響力が低下すると再び白井城を奪取し、その後は上杉景虎、武田勝頼、滝川一益、小田原北条氏に仕え天正18年(1590)の小田原の役では北条方として行動し敗戦、白井城も開城し以後は上杉家に仕えています。
空恵寺は白井長尾家の菩提寺とされ本堂背後には長尾家縁と思われる墓碑が数多く建立され渋川市指定史跡に指定されています。
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