山上の多重塔(桐生市)概要: 多重塔は平安時代初期の延暦20年(801)7月17日、道輪と名乗る僧侶が 法華経を安置するために建立したものです。高さ1.85p、下層幅48pで塔身が三層に分かれ全体が朱色で塗られ、塔身上部には深さ20cmの凹みがあり法華経が収納されていたと推定されています。塔には身分を問わず地獄から救われて安楽と平和を願い建立した事が45字[上層(霊含生衆 母父祇神 庭朝為奉 坐経法如)・中層(日七十月 七年廿 暦延輪 道師小)・下層(岸彼登令 楽安得永 生衆苦受 間无?為)]に刻まれています。
山上の多重塔に刻まれている45字の訳は案内板によると「 絶えることない地獄の苦しみから すべてのものを救い 永く安らぎの地へ往くことができるように ここに如法経を安置する塔を建てた これは 朝廷 神祇 父母 衆生 霊含のあらゆるもののために建てられたものである そして これには小師である道輪が関わった それは延暦二十年七月十七日のことである 」とあります。
山上の多重塔は当時の仏教文化史上最も重要な石造物の一つと評価され昭和18年(1943)に国指定重要文化財に指定されています。この地からは赤城山が望める景勝地で一種の聖地のような場所だったのかも知れません。現在は史跡公園として整備されていて、多重塔はガラスにより保護され、さらに屋根付きの上屋が設けられています。
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