伊香保温泉(群馬県渋川市)の温泉街の特徴は傾斜地に石段を設けて左右に湯宿や御土産屋、飲食店を設けた町並みが形成されている事です。伝承によると現在伊香保温泉の石段街の原型は戦国時代に長篠の戦いで傷ついた武田家の家臣達の保養所として、武田勝頼が真田昌幸に命じて整備したのが始まりとされます。源泉は、守護神である伊香保神社の境内のさらに奥に湧き出ていますが、そこから引き込み、階段沿いに建てられた温泉宿にさらに分配されました。現在は多くの建物が建替えられていますが雰囲気は維持されています。伊香保温泉は草津温泉(群馬県草津町)、四万温泉(群馬県中之条町)と共に上毛三名湯に数えられています。
守護神である伊香保神社は、周辺の山々が「いかほ」と呼ばれていた頃に(火山だった榛名山が「厳つ峰=いかつほ」と呼ばれた)、素朴な古代人が自然崇拝の対象として信仰した事が前身だったと思われます。それが「いかつほの神」として具体化され、さらに、天平勝宝2年(750)には社殿が設けられ伊香保神社として成立しました。当初は、麓にある三宮神社が信仰の中心でしたが、時代が下がった承和2年(835)に現在に近い所に山宮が創建され、以後、両社一体の信仰となっています。「いかほ」の地は古くから「枕詞」として多くの文学作品の題材となる著名な地であった事から伊香保神社の存在も早くから知られるようになり、「続日本後紀」には承和2年(835)に名神として記載され、延喜式神名帳では名神大社という高い格式の神社として記載されました。そのような中、別当だったと思われる有馬氏が没落した事で麓(里宮)の伊香保神社が衰微し、山宮だった当社のみが伊香保温泉の守護神として信仰を集めるようになりました。又、麓にある水沢寺には伊香保大明神が水沢寺の守護神だったとの伝承が残され、江戸時代には伊香保温泉への湯治客は決まって参拝に訪れ大いに賑わったそうです。
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