南牧村(歴史)概要: 南牧村は入り組んだ地形の為、大きな勢力が確立しなく、中世では南牧六人衆と呼ばれる土豪領主達が支配していました。信州が武田信玄に落ちると南牧六人衆は逸早く武田氏と好を通じ南牧村が上野国侵攻の重要な拠点となりました。
江戸時代に入ると幕府直轄地となり時勢も安定し、元々特産だった砥石の採掘が盛んになり幕府の御用砥として重要視され多くの採掘者によって町も活気着きました。田圃が造れる平地も少なく、基本的には山の段差を利用した段々畑が造られ特に養蚕が盛んになりました。
又、上州姫街道(下仁田街道)下仁田宿から分岐して信州臼田を結ぶ脇街道が開削されると砥沢宿が開かれ手前には南牧関所が設置されます。
参勤交代には利用されませんでしたが、砥石や蚕糸、米などの物資の流通や善光寺参りの参拝者などに利用さ九斎市などの市も開かれました。明治以降も砥石、養蚕などの主産業は活気がありましたが昭和に入ると徐々に衰退していきます。
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