高崎市吉井町(歴史)概要: 高崎市吉井町は新羅系渡来人によって開かれた地域とされ町内に鎮座する辛科神社は大宝年間(701〜703)に彼らによって勧請されたと伝えられています。和銅4年(711)に多胡郡が新たに設置されそれを記念して多胡碑が建立、この碑は多賀城碑(宮城県多賀城市)、那須国造碑(栃木県大田原市)とともに日本三大古碑の一つに数えられ国指定史跡に指定されています。
中世は小幡氏の支配下となり吉井町では一族の長根氏が長根城を築き周辺を治めました。戦国時代末期になると長根氏は小幡氏と共に武田氏に仕え、武田氏が滅ぶと小田原北条氏に組しますが天正18年(1590)に小田原の役で主家を失い没落します。
その後、関東を領した徳川家康は家臣である菅沼定利を2万石で入封させ吉井藩を立藩、慶長15年(1610)に2代忠政が移封となった事で天領となり、天和2年(1682)から堀田氏、宝永6年(1709)から松平氏が藩主となり明治維新を迎えています。
又、領内には中山道の脇往還として上州姫街道(下仁田街道)が開削され吉井町は城下町と同時に宿場町として整備されました。上州姫街道は参勤交代には利用されませんでしたが物資の往来は盛んで米を中心に生糸や麻、楮、煙草、漆などが取引されて各宿場は活気があったとされます。
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