みどり市(歴史)概要: みどり市は平安時代末期、領主だった山田氏が寛治2年(1088)に高津戸城を築き支配を固めると250年の長きに渡り当地を治めます。南北朝時代の観応2年(1351)、桐生国綱によって侵攻され高津戸城は落城、山田氏は没落し、以後は桐生氏によって支配されます。
戦国時代に入ると桐生氏の勢力も広大し周辺地域も支配下に入れますが親綱代には衰退、元亀4年(1573)に金山城(群馬県太田市)の城主由良成繁によって侵攻され桐生の地を追われます。
天正5年(1577)に里見勝政、勝安兄弟が上杉謙信(春日山城の城主、関東管領、越後国守護職)の庇護を受け高津戸城を占拠しましたが由良氏との抗争の中に没落します。その由良氏も小田原北条氏の圧力に屈し、その支配下に入った為、天正18年(1590)の小田原の役では小田原城に立て籠もり北条方として行動した為、北条氏が滅亡後は牛久領(茨城県牛久市)に移封され高津戸城は廃城となります。
江戸時代に入ると足尾銅山(栃木県上都賀郡足尾町※現在の栃木県日光市)と江戸とを結ぶ銅街道が開削され花輪宿や大間々宿は宿場町として発展しています。物資の集積地でもあった為、四と八が付く日は絹市が開催され近隣からは多くの絹関係者と、それを求める人達が集まり、絹市としては関東では3番目に著名な市として知られました。又、一部は出羽松山藩(山形県酒田市松山町)の飛地だった事から、大間々神明宮が藩主酒井家から庇護されています。
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