柳沢寺(榛東村)概要: 船尾山等覚院柳沢寺は群馬県北群馬郡榛東村山子田に境内を構える天台宗の寺院です。柳沢寺の創建は平安時初期の弘仁年間(810〜823年)、伝教大師最澄(日本天台宗大本山、比叡山延暦寺を開山)が東国順境の折、この地に住んでいた太夫満行が堂宇を建立し大師を招いて開山したのが始まりと伝えられています。
柳沢寺の本尊である千手観音は子授け観音として信仰を広め、その噂を聞いて千葉常将が願を掛けたところ、たちまち子供が懐妊した為、篤い庇護を受けたとされます。常将は子供を霊験あらたかな寺院として預け修業させていましたがある日神隠しにあい姿を消してしまいます。常将は柳沢寺に何か企みがあると誤解し寺院を焼打ち、堂宇は尽く焼失したとそうです。後日、子供が姿を消したのは天狗のせいだと解り常将は行いを悔いて自決、妻が菩提を弔う為、柳沢寺の堂宇を再建した後、後を追って自決しています。
戦国時代末期になると北条家、上杉家、武田家などの兵火にあい再び焼失し一時衰退しますが、江戸時代に入ると天海僧正(南光坊天海とも、徳川家康の側近として大きな影響力を持ち徳川3代に渡って宗教関係の政策に尽力した。)を始め高崎城主安藤右京進重長によって再興され、朱印地30石を賜り、寺運が隆盛し現在に至っています。
現在でも柳沢寺の境内には貞享3年(1686)建立の客殿(木造平屋建て、寄棟、銅瓦棒葺き、平入、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。)や本堂(木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、正面千鳥破風、桁行3間、正面1間軒唐破風向拝付き、内部は天台密教建築で見られる内陣が低い構成、千手千眼観音像安置)、寛延3年(1750)に建立された仁王門(入母屋、桟瓦葺き、三間一戸、八脚楼門、正面仁王像、背面広目天像・多聞天像安置)、宝暦年間(1751〜1763年)に建立された赤門(切妻、銅瓦棒葺き、一間一戸、木部朱塗り、身分が高い人物しか利用出来ず「開かずの門」の別称有)、文政年間(1818〜1830年)に建立された薬医門(切妻、銅瓦棒葺き、一間一戸)などが境内に残っており当時の名残が感じられます。
新上州三十三観音霊場第25番札所。群馬郡三十三観音霊場第2番札所。関東百八地蔵尊霊場第34番札所。関東九十一薬師霊場第46番札所。東国花の寺百ヶ寺群馬第8番札所。上州七福神霊場(毘沙門天)。山号:船尾山。院号:等覚院。宗派:天台宗。本尊:阿弥陀如来。
柳沢寺の文化財
・ 柳沢寺縁起二巻−船尾山記一巻・船尾山柳沢寺所伝縁起一巻−榛東村文化財
柳沢寺:上空画像
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