大胡神社(前橋市)概要: 大胡神社は群馬県前橋市河原浜町に鎮座している神社です。大胡神社の創建は不詳ですが赤城神社(赤城山を御神体と古社、延喜式神名帳では名神大社、上野国二宮)の分霊を勧請したもので、当時の大胡城の城主大胡常陸介高繁が三夜沢赤城神社の神官である奈良原紀伊守に宛てた手紙によると、天正17年(1589)に赤城大明神を大胡城の鎮守として祭る近戸社を設けたい旨が記されています。
一方、元々二宮赤城神社の分霊を勧請して創建されていた大胡神社に、改めて三夜沢赤城神社から赤城大明神を勧請したという説もあります。
大胡神社境内は大胡城の近戸郭内にあり本丸から見ると丁度真北にあたる為、大胡城が健在だった時代は城の北方鎮護や城内鎮守社として歴代領主に崇敬され社殿の造営や社領の寄進が行われ、天正年間(1573〜1592年)には大胡城主扇常陸介が社頭を営繕し宝物の寄進を行っています。
天正18年(1590)に牧野康成が2万石で大胡藩に入封すると藩主となった牧野家が庇護し、2代藩主牧野忠成は前例に倣って営繕御供米等の費用として現米五石を奉納し、寛永10年(1633)には牧野大和守忠虎(光成)が火事で焼失した神殿を造営しています。
大胡藩が廃藩となると前橋藩主、酒井家や松平家、歴代代官などが庇護し続けました。明治時代に入り郷社の社格になり、明治時代中期まで近戸神社と称していましたが、その後町内の多くの神社を合祀して「大胡神社」と社号を改めています。
現在でも大胡神社は赤城神社と関係が深く、三夜沢赤城神社と二宮赤城神社の間に行われる御神幸の神事では当社の境内が御旅所として利用されています。例祭に奉納される太々神楽は古くから豊作祈願を願って十三座の神楽が舞われるもので昭和44年(1969)に前橋市指定無形民俗文化財に指定されています。
又、神楽殿は大正4年(1915)に大原福太郎によって奉納されたという珍しい算額(和算)があり貴重な事から平成6年(1994)に前橋市指定重要文化財に指定されています。境内が神域だった為、古木大木が多く、中でもムクロジは貴重な樹木とされ平成20年(2008)に前橋市指定天然記念物に指定されています。
大胡神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行4間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り。本殿は一間社入母屋造り、銅板葺き、平入。祭神は大己貴命・豊城入彦命。
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