本多正永

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本多正永(沼田城)
【 概 要 】−本多正永は正保2年(1645)、本多正直と稲垣重綱の娘との子供として生まれました。延宝5年(1677)に正重系本多家の家督継ぎ、元禄元年(1688)に幕府の寺社奉行に昇進した事に伴い1万石の諸侯に列し舟戸藩の藩主に就任しています。その後も元禄9年(1696)に若年寄、宝永元年(1704)に老中となり幕政の中枢を担っています。元禄16年(1703)に沼田藩(群馬県沼田市)2万石を立藩しています。

前藩主だった真田信利は幕府から治世不良、納期遅滞を攻められ改易となり沼田藩は廃藩、藩庁である沼田城も廃城となり破却されました。正永は幕府から多額の借財2千両を求め、新たな沼田城を築城し城下町も刷新、宝永2年(1705)には神明宮の拝殿を造営し、沼田城下の総鎮守である榛名神社には木造鳥居を奉納しています。正永は宝永元年(1704)に1万石が加増、宝永2年(1705)に1万石が加増され合計4万石となり、宝永4年(1707)に沼田城の再建が完了しています。

正徳元年(1711)に隠居、家督を養嗣子である本多正武に譲り同年には平等寺が本多家の領内菩提寺(位牌所)に指定されています。正徳2年(1712)死去、享年67歳、戒名:信行院殿従位下侍従兼伯耆守藤原朝臣正永釈光山(平等寺の位牌)。

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