【 概 要 】沼田藩の藩主となった土岐家は最盛期には美濃国(現在の岐阜県)、尾張国(現在の愛知県)、伊勢国(現在の三重県)の3か国の守護大名を勤めた名門の本流だった土岐頼貞の9男長山頼基の子供である明智頼重を祖に掲げています。
その後、没落したものの、菅沼氏を頼り命脈を保っています。戦国時代には菅沼家と共に徳川家康に仕える事になり、天正18年(1590)に家康の関東移封に随行し守谷領(茨城県守谷市)1万石で諸侯に復権しています。
土岐頼稔は幕政で京都所司代や老中など要職を歴任し、寛保2年(1742)に沼田藩3万5千石で入封、以後、12代に渡り藩主を歴任しています。居城だった沼田城には旧土岐邸洋館が移築されています。
土岐家の菩提寺は東京都品川区北品川の東海寺春雨庵(春雨寺)ですが境内が整備された際、東禅寺(沼田市)の檀家の人達が沼田藩主土岐家縁の墓碑を譲り受け昭和62年(1987)に土岐家が祈願所として信仰していた雨宝殿の境内に移しました。移された墓碑は以下の通りです。
3代藩主定経−従四位下、美濃守、戒名:乾隆院殿元徳道亨大居士
4代藩主頼寛−従五位下、伊予守、戒名:景雲院殿龍門義登大居士
9代藩主頼巧−従五位下、山城守、戒名:観光院殿寂潭宗止大居士
土岐頼巧室(8代藩主頼潤の次女)−戒名:光貞院殿華厳妙誠大姉
土岐頼殷(初代頼稔の父親)−田中藩初代藩主、戒名:成院俊巌紹英居士
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