【 概 要 】松平信友は正徳2年(1712)、吉井藩初代藩主松平信清の長男として生まれました。享保9年(1724)に信清が死去すると、若干12歳で将軍家御目見前だったものの家督の相続が認められたようで吉井藩2代藩主に就任しています。元服を迎えると享保12年(1727)に8代将軍徳川吉宗に拝謁、さらに従四位下侍従・中務大輔に叙任しています。
当初は矢田陣屋に藩庁が置かれていましたが、吉井は下仁田街道の宿場町で交通の要衝でもあった事から領内の行政効率を勘案し宝暦3年(1753)に吉井陣屋を新たに設け藩庁を遷しています(名称自体は9代藩主松平信発が変更するまで矢田陣屋を継承していたようです)。
基本的に定府大名だった為、信友自身のお国入りは無かったようで陣屋の規模も藩主の居館が無い分小規模となっています。宝暦10年(1760)死去、享年49歳、戒名:瑞琳院殿義山了空大居士、菩提は自証院(東京都新宿区富久町)に葬られています。
信友は藩祖である松平信平の菩提寺である弘行寺(千葉県長生郡睦沢町下之郷)とは関係が深かったようで信友が詠った短冊「花時 春の日は はなみよとやは 長からぬ 怱々 なと此ころの 静こころなき 信友」が残されています(弘行寺は信平の菩提を弔う為、松平信清と恵観上人によって復興された天台宗の寺院)。
善応寺(群馬県伊勢崎市曲輪町)とも関係があったと思われ、宝暦5年(1755)には家臣達が信友の武運長久と子孫繁栄を祈願して千手観音像を寄進しています。
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