禰津陣屋

群馬県:歴史・観光・見所群馬県の城郭>禰津陣屋
禰津陣屋:略データ
・場 所・群馬県高崎市中豊岡町
・築城年・天正18年
・築城者・根津氏
・城 主・根津氏
・構 造・陣屋
・文化財・−
・指定日・−
・概 要・禰津陣屋は慶長7年に根津信政が豊岡藩の藩庁として築かれました。

禰津氏は信濃国の名族慈野氏の嫡流である滋野重路の次男道直が信濃国小県郡禰津に配され、地名に因み「禰津」姓を掲げたのが始まりとされます。

禰津氏は滋野家の一族の中でも、信濃国小県郡から上野国吾妻郡一帯まで版図を広げる等有力氏族として知られ、海野氏、望月氏と共に滋野三家に数えられました。

戦国時代に入ると、次第に勢力が減退、天文10年に武田信虎、村上義清、諏訪頼茂連合軍に敗れると、翌年の天文11年に禰津元直が武田家に従うようになり元直の娘が武田晴信に嫁いでいます。

元直の跡を継いだ次男の禰津政直は武田家の被官として主要な戦い従軍、生島足島神社にも武田家に忠誠を誓う起請文を奉納しています。

天正10年に武田家が滅ぶと、天正11年には徳川家康に臣従し、「禰津」から「根津」に改称しています。

天正18年に徳川家康が関東に移封になるとそれに従い、上野国豊岡に5千石が与えられてます。

根津家本家は政直の甥である根津昌綱、上野国豊岡領は嫡男の根津信政が継いでいます。

慶長5年に行われた関ヶ原の戦いで信政は東軍として行動した功績により慶長7年に5千石が加増され、合計1万石で諸侯に列格し豊岡藩を立藩しています。

跡を継いだ根津政次は嗣子がいなかった事から、弟である根津信直が養子となり家督を継いだものの、寛永3年に信直は嗣子が無く死去した為、根津氏は無嗣断絶、改易となっています。これに伴い豊岡藩は廃藩、禰津陣屋も廃されています。

禰津陣屋は周囲を堀と土塁で囲い、大手門は桝形だったとされます。跡地は現在、常安寺の境内と利用され、郭の形状は保全されているものの、土塁や堀等の遺構は失われています。

月光陰常安寺は元亀元年に禰津政直が開創した寺院で、院号、寺号は政直の戒名である「月光院殿心源常泰居士」に由来し、境内には政直の墓碑が建立されています。

群馬県:城郭・再生リスト
禰津陣屋:付近地図
群馬県の城郭
上野城浄法寺館吉良上野介陣屋矢田堀城天幕城神保館北新波砦漆窪城森下城阿岨城幕岩城小沢城荘田城力丸城宿阿内城那波城三ツ木城赤岩城名胡桃城台源氏館今村城青柳城元島名城高瀬陣屋板鼻陣屋渋川寄居城箱田城岩鼻陣屋下田島城蛇屋敷八幡原館和田下之城津久田城禰津陣屋倉賀野城堀口館小串館大友城新田館阿佐美館役原城矢田陣屋長根城久永氏陣屋石倉城山子田城木部氏館後閑館桐生陣屋海老瀬城内出城簗瀬城上泉城世良田館江田館管沼城岩松館原城中村城桃井城総社城小川城深沢城女渕城蒼海城人見城猿ヶ京城麻場城
※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「群馬県:歴史・観光・見所」は「群馬県の歴史」、「郷土資料辞典−群馬県」、「日本の城下町−関東(一)」、「城郭と城下町−関東」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。※プライバシーポリシーはこちらです。