・禰津陣屋は慶長7年に根津信政が豊岡藩の藩庁として築かれました。
禰津氏は信濃国の名族慈野氏の嫡流である滋野重路の次男道直が信濃国小県郡禰津に配され、地名に因み「禰津」姓を掲げたのが始まりとされます。
禰津氏は滋野家の一族の中でも、信濃国小県郡から上野国吾妻郡一帯まで版図を広げる等有力氏族として知られ、海野氏、望月氏と共に滋野三家に数えられました。
戦国時代に入ると、次第に勢力が減退、天文10年に武田信虎、村上義清、諏訪頼茂連合軍に敗れると、翌年の天文11年に禰津元直が武田家に従うようになり元直の娘が武田晴信に嫁いでいます。
元直の跡を継いだ次男の禰津政直は武田家の被官として主要な戦い従軍、生島足島神社にも武田家に忠誠を誓う起請文を奉納しています。
天正10年に武田家が滅ぶと、天正11年には徳川家康に臣従し、「禰津」から「根津」に改称しています。
天正18年に徳川家康が関東に移封になるとそれに従い、上野国豊岡に5千石が与えられてます。
根津家本家は政直の甥である根津昌綱、上野国豊岡領は嫡男の根津信政が継いでいます。
慶長5年に行われた関ヶ原の戦いで信政は東軍として行動した功績により慶長7年に5千石が加増され、合計1万石で諸侯に列格し豊岡藩を立藩しています。
跡を継いだ根津政次は嗣子がいなかった事から、弟である根津信直が養子となり家督を継いだものの、寛永3年に信直は嗣子が無く死去した為、根津氏は無嗣断絶、改易となっています。これに伴い豊岡藩は廃藩、禰津陣屋も廃されています。
禰津陣屋は周囲を堀と土塁で囲い、大手門は桝形だったとされます。跡地は現在、常安寺の境内と利用され、郭の形状は保全されているものの、土塁や堀等の遺構は失われています。
月光陰常安寺は元亀元年に禰津政直が開創した寺院で、院号、寺号は政直の戒名である「月光院殿心源常泰居士」に由来し、境内には政直の墓碑が建立されています。
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