上野城

群馬県:歴史・観光・見所群馬県の城郭>上野城
上野城:略データ
・場 所・群馬県甘楽郡甘楽町上野
・築城年・吉田城:鎌倉時代後期
・築城者・−
・城 主・深谷喜左衛門、河野家(代官:吉田家)
・構 造・居館・陣屋
・文化財・甘楽町指定史跡
・指定日・平成22年3月26日
・概 要・上野城は鎌倉時代後期に築城されたとも云われ、城址を所有している吉田家の屋敷内には延文4年、貞治6年、永和2年銘のある板碑が建立されており、年号が北朝が採用したものである事から城主は南北朝時代に、北朝方に与していた事が窺えます。

「上野国群馬郡箕輪軍記」によると、永禄6年に武田信玄の上野国侵攻により落城した城の中に上野城が記されており、当城の事とも云われています。

別説としては小幡の八幡山砦の事を上ノ城、長畝砦の事を下ノ城と呼んでいた事から上野城は八幡山砦の事との説もあります。

その後どのように利用されたのかは判りませんが、江戸時代に入ると周辺が天領に組み込まれた為、幕府から代官として深谷喜左衛門が派遣され代官屋敷(上野蔵屋敷)として整備されたと思われます。

天和2年に堀田豊前守正休が上野国の多胡郡、緑野郡、武蔵国の埼玉郡内1万石で吉井藩が立藩すると、吉井に陣屋を構えた事から代官屋敷(上野蔵屋敷)は廃止されています。

堀田正休は元禄11年に近江宮川藩に移封になった事から吉井藩は廃藩、陣屋も廃され再び天領となっています。

当地は旗本の河野氏の采配地となり、名主である吉田家が河野家に代わり上野蔵屋敷で明治維新まで当地を管理しています。

上野城は一辺70m程の正方形をした単郭の平城で、周囲を土塁と堀で囲っており、現在でも西土塁と来た土塁半分、東土塁に一部が残されています。

西土塁は長さ66.5m、上幅2.2〜2.6m、下幅8〜8.5m、高さ2.5〜2.7m、西濠の長さは約80m、濠幅5.7〜6.8m。

北土塁の長さ約35m、濠幅は7〜10m。東土塁は長さ約10m、幅約5m、高さ2〜2.5m。

吉田の土塁・濠跡は貴重な事から甘楽町指定史跡に指定されています。

群馬県:城郭・再生リスト
上野城:付近地図
群馬県の城郭
上野城浄法寺館吉良上野介陣屋矢田堀城天幕城神保館北新波砦漆窪城森下城阿岨城幕岩城小沢城荘田城力丸城宿阿内城那波城三ツ木城赤岩城名胡桃城台源氏館今村城青柳城元島名城高瀬陣屋板鼻陣屋渋川寄居城箱田城岩鼻陣屋下田島城蛇屋敷八幡原館和田下之城津久田城禰津陣屋倉賀野城堀口館小串館大友城新田館阿佐美館役原城矢田陣屋長根城久永氏陣屋石倉城山子田城木部氏館後閑館桐生陣屋海老瀬城内出城簗瀬城上泉城世良田館江田館管沼城岩松館原城中村城桃井城総社城小川城深沢城女渕城蒼海城人見城猿ヶ京城麻場城
※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「群馬県:歴史・観光・見所」は「群馬県の歴史」、「郷土資料辞典−群馬県」、「日本の城下町−関東(一)」、「城郭と城下町−関東」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。※プライバシーポリシーはこちらです。